『言葉と歩く日記』

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『言葉と歩く日記』(多和田葉子/岩波新書)

 

言葉が違えば文化も違う。ものの感じ方も違うし感覚も違う。国、地方、時代、年齢。あたりまえのことだが、あまりの違いに驚かされることはよくある。本書では、ドイツに暮らし日本とドイツの二つの言葉を使って執筆する作家・多和田葉子さんの、言葉の見方を日記形式でつづる。ドイツ語から日本語へ、あるいはその逆へという翻訳の作業や、小説というフィクションの世界での言葉と日常生活での話し言葉の使い分けなどを通して、いくつもの言葉の世界を行き来している著者だからこそ見えてくるものにはっとさせられる。

たとえば、ドイツにも若者言葉が存在する。日本でも、バスの中で聞こえてくる女子高生の会話が単語のレベルから語順や文法といったレベルまでほとんど理解できないことがあるが、それと同じ状況が海の向こうでも起こっているのだという。キース・ドイツ語として区別されている、若者あるいは移民のつかう言葉に対して、著者は「最近の若者は・・・」といった型にはまった批判はあてはまらないという。必要だから生まれ、必要ないから省略されるというだけなのだ。それは文法とかいった理屈をこえたものなのだろう。バスの中の女子高生の言葉も、省略されたり順序が変わってしまった理由を考えていくと、彼女らなりの必要性が見えてくるかもしれない。

理屈をこえたものをあえて言葉にし、解き明かしていこうとするたのしさ。それはきっと言葉にできない。

 

 

(鳥居)